何でもやる医学生の備忘録

ひろげて,つなげて,たのしむ.

受験の「王道」

まえがき

受験生のみなさん,本当にお疲れ様です.

皆さんから医学部はどう映っているのでしょうか.COVID-19と懸命に戦っている医療従事者の姿を見て,何を考えているのでしょうか.直接みなさんのご意見をお伺いしたいくらいですが,おそらく今は忙しいことこの上ないでしょうから,終わった後にでもコメントやTwitterのDMをいただければ幸いです.

本題

さて,医学部に限らず,入試は王道を行ったもの勝ちです.奇をてらったことをして成功するのはごく一部だと心得たほうが良いでしょう.

頭の良さとは

これは医学部に入った後よくわかることですが,同級生はそれぞれ頭が良い方達です.その頭の良さとは,単純な知能指数で表されるものではなく,既に「王道」と呼ばれるものが存在し,その「王道」を辿れば入試に合格する力がつくことをどれだけ悟れるかを意味していると考えています.

受験と学問は別物

悲しいことに,受験勉強と学問探究は別物です.受験勉強は学問の中でも核となる事項の理解を問うものであり,学問探究は学問の中でもより辺境を見ようとするものです.そうした学問探究の累積を辿らなければ,人知を超えるような新発見ができないからこそ「学問に王道なし」,近道はないと言われるのです.しかし,基本原理の理解を問う受験には「王道」が存在します.

「王道」の本質

そこで重要なのはその「王道」とは何かです.数学でいえば青チャート,と言われていますが,果たして教材が王道の本質なのでしょうか.

ちなみに私は  Focus Gold数学2+B Focus Gold数学3を使っていました.その頃は何を買えばいいのか分からなかったので,とりあえず高校の数学科研究室にびっしりと置かれていたあれにしようという具合に決めました.それでもほぼ毎日持ち歩き,愛用・愛読しました.その他に先生の説明をいくら聞いても分からない時はネットで調べたり,Youtubeの動画を見たりしました.結局のところ,各学習項目の完成に寄与するなら教材は何でも良いと思います.むしろ何でも使うべきです.つまるところ,「王道」とは教材ではなく正統な学習姿勢なのではないかと考えています.

「王道」と「枠組み」

例えば問題集を解くのであれば,その問題集を解く有意性が最大限引き出されるような「枠組み」を作り,その通りに実践していく姿勢です.しかし人によって採用するものが異なります.これがいわゆる”勉強法”です.本来,「枠組み」は自分の合理的思考に基づき生み出されるべきものです.他人が紹介する勉強法を鵜呑みにしても,なぜそれが良いのか理解できていなければ,その「枠組み」どころか「王道」の不信にさえ繋がってしまいます.

「枠組み」の構築

例えば,自分は基本的に問題集を解く際は,

「今日は問題番号○○から○○までのタームでやるから,時間は○○分かかるだろう,これでタイマーをセットして制限時間内に解いて,間違えた原因をまとめノートに書き溜める.間違えた問題に/を入れて3日後のタームの最初に含めよう.」

といったふうに「枠組み」を設けていました.これは感覚的に定められたわけではありません.

  1. (設問数や制限時間の)明確な目標設定によるモチベーション維持
  2. 間違いの原因追究とその記録による再発防止
  3. 忘却曲線に従った効果的な復習

このように,それぞれの行動に根拠があるからこそ,それらを信じて実践できるのです.

ただし,

  1. 根拠が誤っている
  2. 根拠に対応する行動が不適切である

という場合,よい結果をもたらしません.成績不振の際には,以上2点に注意して「枠組み」の妥当性を再考することをおすすめします.根拠に対応する行動についてはアイデア勝負の側面が強いので,とにかくたくさんの先輩や同級生が採用している行動に多く触れてみましょう.私が実践していた枠組みも追々紹介します.

「王道」だからこそ辛い

「王道」はかなりの程度まで探求され尽くされていて,もうここ数十年変わっていないと言ってよいでしょう.ただひたすらにインプットとアウトプットを繰り返す辛い作業です.辛い原因は,作業の地道さと自己の愚かさによる精神的苦痛です.しかし,この「王道」が合格した人たちが口をそろえて言う最短経路なのです.それを信じきれない,あるいは辛すぎて信じたくなくなったがために途中で投げ出して,輝かしい,革新的な邪道に走ってしまうのです.その気持ちはよくわかります.山なら平坦な迂回路より急斜面の直線路の方がきついでしょう.しかし,歩める距離が有限なのです.だから,より高い山に登りたいなら,その距離を気にしながら入試日よりも前に登頂しなければならないのです.

あとがき

私の同級生は受験期に「僧侶になる」と言っていました.言葉通りの意味ではなく,”欲を捨て,自らと対峙するものになる”という意味です.受験は頭のいい人が勝つ試合ではなく,忍耐に忍耐を重ねたものが勝つ可能性が高くなるような試合といえるでしょうそれだけに,今のCOVID-19の状況下はあまりに残酷であろうと思います.戦友が身近にいない,気分転換に外出することも憚られる中で,誰がみなさんに頑張り続けることを要求できるというのでしょうか.ただ,入試においてやるべきことは変わらないとだけは確実に言えます.

みなさんが栄冠を勝ち取られることを願ってやみません.